12月6日の日記

2020年12月6日 日常
他者との会話がとても難しい。

どういうわけか、ふさわしくない言葉が口から不意に出てくる。

なぜなのだろう?

あっ、しまった、と思った時にはもう遅い。

言いたいことと、口から出た言葉がかなりずれている。

語彙が足りないからなのか?

言葉のチョイスが、”コレジャナイ” ということが多いのだ。

何年か前の、口から出た言葉に思い返すたびに気分が落ち込む。

話すということは難しい。


12月5日の日記

2020年12月5日 日常
いつの間にか12月。

なんで、こんなに早いのか?

不思議でたまらない。

暫く、ここもみていませんでした。

コメントをいただいていたのに、返信もしませんですいません。

我ながら、まあぼんやりしているなと・・・

大目に見ていただきたい。

切にお願いいたします。






最近相方に、

”私って動物に例えると何””

と聞いたら、間髪入れずに

”カバ”

と答えが返ってきた。

”じゃあ、花だと?”

と尋ねると

”ラフレシア”

と即答。

”へえ・・、私ってそんなに臭いんだ”

というと

”いや、実際見たことないから匂いはわからない。ただ、地面からでている花の巨大な平面的なところが似ていると思う”

と・・・

素早く、返答できたのがよほど嬉しかったのか

”今日は冴えてる”

とぼそっと・・・



ちょっと前に

”妖怪砂かけ子泣きぬりかべばばあ”

と、人を評して下さりました。

”私、化粧なんてしてないじゃん”

と反論したら

”あ、そういうことじゃなくて、平面的ていゆうか平べったいところが・・・”

グーで殴りたい。




紅葉のニュースを見た。

先週の日曜日相方と八幡平にドライブに行ってきた。

八幡平の綺麗な紅葉って見たことがない。

いつも、まだ早いか、散ってしまっているか・・・

今回は、初めて当たりだった。

白樺ってこういう紅葉の仕方をするんだ。

山頂付近の渋滞はすごかった。

アスピーテラインより、樹海ラインのほうが色的にきれいだと私は思う。

景色の変化や面白さはアスピーテかな。

でも、やっぱり紅葉で感動するのは私的には須川。

絶対、散策はすべき。

本当に感動する。

行き帰りの道が大変だけれど・・・

今年は無理だけれど、来年はいきたいなぁ・・・

10月19日の日記

2020年10月19日 日常
久しぶり。

人って不思議だなとつくずく思う今日この頃。

時々、今はもうない子供の頃過ごした家の夢を見る。

ずいぶん鮮明に覚えているものだと思う。

年を取ったということなのだろうか。

父が、去年11月に亡くなり祖母も同じ11月中に亡くなった。

祖母の弟から、母は父に合わせたことをあまりよく言われなかったらしい。

祖母には最後まで父が亡くなったことは知らせていなかったのだけれど。

祖母のことまあったので、父の葬儀は慌ただしく行われた。

祖母の体調があまりよくなかったので、ショックを与えないようにと。

母は、もう少し父をゆっくり家で眠らせたかったようだ。

とても悔しがっている。

私もだけれど。

変な話だし、不謹慎だと思うけれど、去年でよかった。

病室に寝袋を持ち込んで泊まり込むなんてことできないもの。

やっと、相続関係が片付き、母が墓を建立し今週の日曜日納骨。

長かった・・・

長かった・・・

でも不思議。

なんか父が生きていたころより、父のことを思う日が多い。


10月3日の日記

2019年10月3日 日常
昨日、外科の先生から緩和ケアを紹介されたのだけれど、緩和ケア科が満員だったので後日に予約を入れることになった。

介護タクシーが来て母と父が帰った後の話だったので、会計待ちをしていた私が話を聞き、薬と予約が取れる日のメモをもって家に行った。

母に説明をし、訪問看護の看護師さんやケアマネージャーさんと相談して連絡を取るように伝えた。

本日早朝、いきなりの電話があった。

心臓に悪い。

看護師さんから、早く緩和ケア科の予約を取ったほうが良いと言われたらしく、たまたま今日の11時が一番早い予約をとれる日だったので、昨日の夜よやくをとったらしい。

今日、一緒に病院に行ってもらえないかという電話だった。

弟は昨日休んだし今日も休むのはさすがに無理だろう・・・

私もなんだけれど、まあ仕方がないよね・・・

急遽、支配人にメールしてお休みをいただいた。

融通が利く職場で本当に良かった・・・

自宅に来てほしということだったので、介護タクシーの予約時間の前に着くように言ったのだけれど、自宅の前に白いワンボックスカーが止まっている。

時間を聞き間違えたのか、と、少し焦ったのだけれど、よく見ると介護タクシーではない。

誰か来ているのかな?と父の寝ている部屋に入ったら

祖母が父の手を握り号泣していた。

痩せ枯れた父の手を握る祖母のまん丸い姿がなんとも言えない。

”なして、こったなことさなったてや・・・”

“がんばれや…、なおせよ、なおるっていわれたべ・・・”

といった祖母の言葉に、父はじっと目を閉じていた。

あまりに父が目を開けないので、母がちゃんと見なさいと父にいうと、目を開け祖母に

”こんなつもりじゃなかったんだけどよ・・・”

と。

”あや、おれが替われればな・・・”

と祖母がまた号泣。

でも、父が祖母と会えてよかった・・・

今日はとても疲れた。

母は、もっとだろう。

今日から1週間一般病棟に父は入院することになった。

来週は自宅に帰ってくるのだけれど、緩和ケアの病棟が開き次第そちらに入ることになる。




10月2日の日記

2019年10月2日 日常
車いすに乗っている父の後頭部を見ていた。

こんなに小さかったけ?

頭の形、私と違って歪じゃない、羨まし・・

おかしい、私より髪の量が多い・・・

昔は、髪をきっちりなでつけていたのに、結構身だしなみにうるさかったのに・・・

本日は寝起きだな・・・

先週あった時より又痩せた。

けれど、車いすから降ろすときとか重い。

あまり似ていないと思っていたけれど、おじいちゃんに似てきた。

おばあちゃん、先月100歳のお祝いを市長さんからもらったって。

計画していたお祝いの会は、父がこんな状態なのでキャンセルになったけど・・

おばあちゃんは、父がこんな状態なのは知らない。

自力では、立ち上がれなくなっている。

本人も、もう長くないと口には出しているけれど、

先生に

”治る確率は?”

と聞いていた。

末期がんだと何回か聞いていたはずなんだけれど。

信じたくなかったか、忘れてしまったのか。

先生から

”治りません”

とはっきり言われていた。

いつも、傍にいるわけではないからなのか、先生から

”年内”

の宣告(本人はしらないけれど)を受けてもあまり信じられない。

母が、看護疲れからか1泊入院したのが、私の中ではよほどショックだった。



 
先週2回目の手術をした父。

いまだに、腹部は5センチほど縫合されていないのだけれど。

2,3日前訪ねて行ったときは、いっぱいついていた管も全部はずれ、リハビリの成果なのか声も出るようになってきていた。

毎日病院に行く母。

文句と小言の毎日。

母だって体調はよろしくないのだけれど。

声が出るようになったら、高い声で怒鳴るようになってきたそうな・・・

父は、自分の思い道理にならないと怒りだす。

昔からそんな人だった。

父が、先生に来週退院をお願いしたそうだ。

まだ、腹部は縫合していない。

そんな状態でも、通院できるならOKなのだそうだ。

本当に、大丈夫なのだろうか?

母が泣きそうな怒り声で私に電話をかけてきた。

父は、仕事をする気満々だが、一人で靴も履けない。

つかまり立ちして幾らか歩けるようにはなってきているというけれど・・・

本当に迷惑。

一番面倒を見てくれている母に、一番辛辣に当たりまくる父。

昔からだけれど・・・

一度請け負った仕事はやり通さなければいけないという気持ちもわかる。

わかるけれど、それは父のメンツ。

家族のためじゃない。

70過ぎた看護素人の母に、看護師さんのような手際を求めても無理というものだろう。

全く、父に同情の余地はない。

怒りがわいてくる。

家族としての情愛が私は薄いのかもしれない。

母の言うことはもちろん、他の誰が言っても父は聞き入れないだろう。

腹が立つし、不安だ。

父ではなく母が。
あれ?

もしかして、うちの庭にあるやつじゃね?

え?

違う?

そうだったら、処分しなきゃだめなんだろうか?
嘘だね。

私には当てはまらない。

中学生の時に母の友達に母と間違われ・・・

うん年前に、相方の知り合いに、相方の母と間違われ・・・

先日、母の知り合いに母の姉妹に間違われました。

うん、なんとも言えません。



昨年の話ですが、母は7歳も年上の姉(伯母)より年上と、知り合いに思われていたとしりショックを受けていましたけれど・・・

8月15日の日記

2019年8月15日 日常
父の手術が成功し、2日も過ぎると歩けるようになり順調で2週間ほどで退院できるとか。

退院の日に合わせて、休みを取って、当日、一緒に行くことになっていた母に電話したら、すでに2日前に退院したと・・・

弟が、術後の検診にたまたま病院に行ったのだそうですが、先生が気をまわして”退院してもいいよ”といったらしく、そのまま退院してきたそうです。

いや、いいことだけどさ・・・

連絡あってもいいんじゃね?

うっかり忘れていたとか・・・

似たもの親子だ、絶対私の忘れっぽいのは遺伝だ・・・

でも、ま、とりあえず休みはとってあるし、顔ぐらい見に行こうか。

と、車をはしらせて家に向かったら、家の近くの工事現場の交通誘導員のおじさんと、どっかで見たことあるようなおじさんが道脇で話し込んでいる。

父でした。

首の手術したばかりだよね・・・

大丈夫なのか???

退院してきたその日から、車の運転してたそうです。

首だよね・・・

--------------------------------------------------

そして今年。

去年、首の手術してからとても調子が良かったそうで、

グランドゴルフ、パークゴルフ、ゲートボールの大会に出まくり、

ポニー4頭の世話、その合間に請け負った仕事をこなしていたそうなのですけれど、1月ごろから足が痛くなってきたとかで去年手術していただいた病院を再受診。

今度は、腰の狭窄症。

4月11日手術。

先生、去年と違ってとても顔色がいい。

今回5時間弱で手術が終了。

手術は成功したし、術後の経過も悪くなかったのだけれど入院が長引いた。

30年以上前の古傷が痛むと・・・

リハビリしながら、1か月入院。

痛みはまだあったのだけれど、本人の希望もあり退院。

次の日、グランドゴルフの大会で山歩き。

翌日もまた、別の場所でグランドゴルフ。

翌日、ゲートボール・・・

足の痛みが悪化。

7月6日、自力で歩けなくなるくらい痛みがあったらしく、母しかいなかったため救急者を呼んで病院に搬送してもらったそう。

近所の人は、母が倒れたと思ったらしく、母が救急車の後を追うべく家から出たらびっくりされたと言っていました。

父だとわかったら、さっさと帰っていったと。

ま、母が脳に動脈瘤があるの近所の人知っているから・・・


最終的に、足の痛みの原因はヘルニア。

手術した4つの腰の部位の1個下・・・

発見できなかったんだな、手術の時・・・

術後、動きすぎたのが悪かったんだろうか?




現在、父は入院中です。

度重なる麻酔の影響なのか、声がほとんど出ません。

母も、耳があまりよくなく、意思疎通があまりよくできず、父の機嫌はすこぶる悪いです。

母よりは、まだ聞こえるほうですけれど、私も父が何を言いたいのかよくわからないことが多いのです。

でも、甥っ子は会話が成立しているのですごいなと思いました。

声が出るようになってくれるといいのですが・・・









去年より、父がやせて、妙に肌が黄色いというか白いのは足の痛みのせいだと、本人も家族も思っていました。

父はよく、”うちの”まき”(親類)は、癌の家系ではない”とよく言っていました。

知っている限り、父の親類で癌で亡くなった人はいません。

叔母(父の弟嫁)に言わせれば、

”癌はないけれど、あたりやすい(脳梗塞とか)家系だよね”

と。

父の母は元気です。

9月に100歳の誕生日が来るので、集まってお祝いをする計画があります。

救急車で運ばれたとき、胸ぐらいからCTをとったのだそうです。

たまたま、救急にいた先生が消化器の先生だったらしく、すぐ母が呼ばれて

余命6か月の宣告を受けたそうです。

大腸がんでした。

肝臓にすでに転移していたそうです。

その時、父は自分が癌だと知りません。

検査と診察の予約をとり、その日のうちに家に戻ってきたようです。

即入院にはならなかったらしいです。

検査、診察の日に母と父を連れ病院に行きました。

母に、

”癌だって伝えないように頼んできて”

と言われましたけれど、今の時代本人に必ず告知するのだそうです。

検査結果を聞く日は、弟にも仕事を休んでもらって一緒に4人で聞きました。

肝臓のほうは手を付けられないけれど、大腸がんのほうは、摘出しないと詰まる可能性が非常に高いということで、
手術の日程を決めてその前々日に入院することで病院を後にしました。


次の日の夜、吐血したので病院に連絡を取り、母が運転し弟が父を支えて病院へ。

即入院。緊急手術。

”ストーマ”にならなければいいね。

と言っていたのがフラグになったのか、ストーマになりました。

大腸がんの一部が破裂したそうなのですが、尿管が傷つく可能性があったので摘出はしなかったそうです。

そして、8月10日、病院から呼出されました。

母、たまたま仕事雨のため休みになった弟、たまたま仕事が休みだった私の3人で先生の説明を聞きました。

それが午前中、午後から父手術。

こんなに、急にするものなんですかね?






手術の日程を決めた日、

久しぶりに家族4人で食事に行きました。何十年ぶりだろう・・・

父は、中途半端にしている仕事が1件と、まだ手を付けていない仕事を1件持っているらしく、食後 、弟に頼んで中途半端にしていた現場を一つ片付けてきたそうです。

もう1件は、手術が終わって退院してから人を頼んで片付けると言っていました。

無事退院できますように・・・





昨年、首の狭窄症の手術を受けた父。

弟もその4か月も前から、腰の狭窄症の手術待ちで入院。

北上から盛岡まで何度通ったことか・・・

手術を担当する先生、御年85歳。

弟の手術の1か月前に倒れ、青森の病院に入院し手術して帰ってきたばかり。

まあ、弟は嫁さんが面倒を見ているからいいとして、手術も成功したし。

うちの父、同居している弟の嫁さんと犬猿の仲。

母が、”盛岡まで怖くて運転できない”

と言ったので、私しかいないよな・・・

父の手術前、先生からカンファレンスを受けたけれど、父より先生の顔色が悪い。

手術前、ちらりと見た先生が歩行器を使って歩いているのを見て不安になる。

3時間ほどで終わるといわれていた手術も、3時間たっても何もない・・・

母と二人で、だんだん不安になる。

父よりも先生が。

5時間以上かかって手術が終わり、もちろん手術は成功。

泊りで父につく母を残して私は帰宅。

家に着いたらもう少しで日をまたぐところでした。

回診に来た先生に

”もう、やめようかとおもったよ〇さん”

と後から言われたと、父が言っていた。

何日か経って先生が歩いているのを見たけれど、歩行器に覆いかぶさるようにして歩いているのを見たとき本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


相方を乗せてドライブ中、ふっと思い出して口ずさんでいたのだけれど

相方が

”何の呪文を唱えているの、気持ち悪い・・・”

と、突然言い出した。

??

え、おたっきーな相方が知らないなんて、そんな馬鹿な・・・

有名だよね???

この出だし???

私が音痴だからわからなかったんだろうか?

通しで歌ってみたら

”それ、違うと思うぞ・・・”

と・・・

どこか間違えていた?

スマホで調べて曲を流してくれた。

”ぴょこん・ぺた・ぴったんこ”

だった・・・・

なんで、こんな風におぼえていたんだろ?

でも、自分の覚えていた言葉のほうがかわいい感じがする。



祖母が亡くなりました。

昨夜。

取り仕切る人がいないと、こうも混沌とするのだなと遠い目で見ている私がいました。

何をしていいのか、しなければいけないのかわからず、うろうろするだけでした。

あまりにも、突然だったので。

”帰りたい”

と、言い続けてきた祖母は、昨日自宅に帰ってきました。

希望的観測ではないと思っているのですけれど、眠るような静かな顔で。

本日、納棺でしたけれど、改めて納棺士さんてすごいなと思いました。

とても綺麗な顔にしてくれました。

あぁ、おばあちゃんだ・・・

病院での別人のようだった顔が・・・

眠る祖母を見て、しわのない顔に驚きました。

つやっつやしているし・・・




9月1日の日記

2017年9月1日 日常
今年初め、祖母が転んでけがをしたそうだ。

知らなかったんだけれど・・・

100歳を超えているのだけれど、手術をしたのだそうだ。

年が年なので、お医者様から命の保証はできないと同居していた叔父がいわれたそうだ。

術後、経過は良好。

家に帰る為に、リハビリに励んでいる。

と、母に聞いたのが6月初め・・・

知らなかったんだけれど・・・

7月に一回病院にお見舞いに、母と行った。

寝ていた祖母が、前回(多分去年のお盆過ぎくらいか?)あった時より一回りほど小さく、細くなっているような気がした。

声をかけると、私が分かり、私の名を呼んでくれた。

トイレに、歩いて行って帰ってきてから寝ていたと言っていた。

歩けるようになったんだ。

よかった、と、その時は思っていた。

けれど、叔父の体調がよくなく施設に転院。

施設では、夜に暴れるとかで睡眠薬を処方されたらしいが、効き目が悪くだんだん強い薬に。

それでも、効かず、病院に相談。

そうこうしているうちに肺炎を発症し、即病院に入院。

入院当初は、意識もはっきりとしていたらしい。

8月中旬、お見舞いに行った。

別人かと思った。

何日か前に、暴れてベットから落ちてけがをした後が痛々しかった。

声をかけると、私の名を呼んでくれたけれど、7月の時のような会話はできなかった。

何日か前から、食事ができなくなったそうで、一日2本の点滴ということだった。

一週間後、母と伯母と私の3人でお見舞いに行った。

病室が、ナースステーションのすぐ隣になっていて、酸素吸入はしていないものの、テレビドラマでよく見る機械が設置されていた。

この、波形がまっすぐになったら臨終ということか・・・

声をかけても、目を開けない。

瞼がくっついていて、自力ではなかなか開けられない。

すぐ隣にも、患者さんがいて呻いているのだけれど、祖母は静かだ。

少し目を開けたけれど、声を出すことはなかった。

点滴は一日1本と看護婦さんが言っていた。

あまり、栄養の濃いものは受け付けないと・・・

伯母は今年82歳。

”こんな風になりたくない”

と、病室でつぶやいた。

伯母よ、小声で言ったつもりかもしれないけれど十分聞こえているから・・・

隣の患者さんの呻き声がさらにひどくなったような気がするのはきのせいだろうか?

祖母は、今年いっぱいとお医者様に言われたそうだ。

こんなにも、急に悪くなるものなのだろうか・・・

一人では、とてもお見舞いに行けない。

なんとも、きつい。

それは、母も伯母も同じだったらしい・・・

お見舞いの帰り道、母がふらふらと歩いいているのがとても怖かった。




本日、はりきって相方と青森・八戸の八食に行って来ました。

行きの高速に乗るとき、ETCカードをさし忘れていて少しパニクり、相方に

怒られました。

岩手山付近まで、相方の機嫌が直らなかったのでちょっと辛いドライブ。

まあ、気持ちを何とか切り替えてくれたみたいで、以後は天気も良かったし

トラブル   無し  ・・・

ドライブと、買い物はね・・・

八食で目当ての一夜干しセット サバ2、サンマ3、カレイ2、キンキ2、

ホッケ 入って3500円を購入。

試食で出していた、イワシの丸干し1パック6尾入り400円もついでに購入。

そしたら、店のお兄さんから、北寄貝1個250円するのを、最後4個だから

1個100円で買っていかないかと言われました。

わきにふたをして置いてあった、発泡スチロールのふたを開けて見せられ

ました。

大きい。

でも、北寄貝なんて寿司でも取って食べたことがないんだよな・・・

貝の向き方も知らないし、殻付きで買ってもな・・・

お店の人に、買いの剥き方がわからないからと伝えると、貝から剥くまでは

こちらでやるので、あとはこのようにとさばき方を簡単に描いた紙を

貰いました。

それならば、挑戦してみよう、と4個購入。

剝いてもらって、たぶん塩水?のよなものに入れたむき身のビニール袋も一緒に

購入したもの一式発泡スチロールの箱に詰めて封をしてもらいました。

北寄貝は、他のお店で、確かにこの大きさは1個250円で売っていたのを見て

お得だったな。と思いました。

干物は、行くたびに買っているけれど、身が厚くて美味しくて、セットの購入は

絶対お得(と思っている)

焼きウニの卵とじ(うに丼)弁当を買って食べたり。

お店をいろいろ見て回り、ロシア産のボタンエビ(刺身用)4匹1000円

を買ったり。

楽しかったし、美味しかったし朝のあのトラブルも忘れてほくほくしていまし

た。

帰りは、根性出して(高速の入り口を間違って過ぎてしまって)国道で。

初めて通る道だったし、ドライブを楽しみました。

帰ってきてから、干物を切って一食分ずつまとめて冷凍。

ボタンエビは、頭と卵は澄まし汁に、身は殻をむいて刺身に。

さて、それでは北寄貝を刺身にしてみましょう。

ざるに北寄貝を開け水を切り白い皿の上に。

1個ずつ、説明の神とにらめっこしながら包丁を入れていく。

これでいいのかと?と思いながら3個目をとったとき明らかに異物とわかる

ものが身についている。

?こ・・・これは・・・

で、白い皿にも3つほど小型の殻のない会のような ”ぽよん”としたものが

くっついている。

なんとなく、蛭っぽい・・・

これは・・・

これは、もしかしたら寄生虫なのでは?

ネットで調べたら、やっぱり寄生虫。

ひも蛭というらしい。

ほぼもれなく、北寄貝にはついてくるとか・・・

人体には無害らしいけれど・・・

ごめん、見ちゃったら生ではもう食べられない・・・

慣れている人なら違うのかもしれないけれど・・・

頑張って、残り2個を書いてあるようにしたけれど、それからボイル。

生は無理。

本日の夕食は、カレイの干物を焼いたものとエビ頭の澄まし汁、ごはん、ボタン

エビの刺身と北寄貝のボイル。

野菜がない・・・

でも、つかれたし・・・

これでいっか・・・



食後1時間ほどして全身がかゆくなりました。

精神的なものかもしれないけれど・・・

多分、北寄貝はもう二度と買わない。


そして、恐ろしいことにさっき携帯がないことに気が付いた・・・

会社に忘れてきたのでありますように・・・

と、今一心に祈っているんだけれど、たぶん青森のどこかに落としてきた

んじゃないかと・・・

明日会社に行って確認しなくちゃ・・・

無かったら、ドコモ行かなくっちゃ・・・

はぁ・・・・・


初めて見たのは、私がまだ20代の頃だったと思う。

岩手に帰省する新幹線の車窓から。

赤に近い朱色地の看板に 白の〇の中に亀、下に白字(だったはず)であーばん

と書いた看板が目についたのを覚えている。

ただそれだけの看板だったので、いったい何の会社だろうと思い、勝手に会社を

想像していました。


その”朱色地”と黒字の”亀”からとっさに赤褌を連想してしまい、宮城の地元の

伝統的男性用下着メーカーなんじゃなかろうかと。

すたれ行く、伝統的な文化を絶やさないための広告かと思いました。

が、伝統的男性用下着だけで商売が成り立つのだろうか?

和服屋さんか?

ワコールとかの下着メーカーの下請け工場だろうか?

と思っていたのですが、何年か前高速を走っていて別のタイプの看板を発見。

同じく赤に近い朱色地に (白字で)あー〇(のなかに黒字で)亀(白字で)

ばん。

あれ、なんて読むんだろう?

あーまるかめばん? あーまるきばん?

まるきばん?ピップエレキバンに似てる。

もしかして、基板メーカーとかか?

前は、”まるかめあーばん”と読むんじゃないかと思っていたけれど・・・

まるかめ・・・なんか味噌のメーカーにそんな名があったような・・・

あれは、”まるこめ”か・・・

4号線を仙台に向かって走っていたら、でっかい朱色に塗られたボーリングの

ピンに〇亀あーばんと書かれていたものがありました。

ボーリング場だったんかい!!

全く、想像できませんでした。

帰り道も4号線を通ってかえったのですけれど、看板をよくみると 

”まるかめあーばん”とちいさくルビを振っているではありませんか。

運転手なので、じっと見たわけではなかったのですけれどね・・・

ウン十年来の謎は解けましたけれど、わたくし的にものすごく残念でした。

勝手に・・・ 

 
無かった・・・

値札さえも・・・

えー・・・

通販かぁ・・・
テレビ番組の影響で、先月からほぼ毎日もち麦入りごはん。

番組で言っていたような効果は私には関係がなかったようだ。

でも、結構美味しいんだよね。

番組直後は、近所のスーパーで売り切れ続出。

ま、もともと取り扱っている量も少なかったようだし、取り扱っている店も少な

いけどね・・・

明日、買ってこよう(売り切れていませんように・・・)


私の頭は、自他ともに認める絶壁・・・

よく、相方から月餅に例えられる。

真横から見たとき、正面から見たときの比率のおかしさによるらしい・・・

否定はできない。

自分でもそう思う。



昨日の朝、受け身をとれないような状態で、後頭部の平たいところを床に強打。

目から火花が出たような気がする。

しばらく、その状態から動けなかった。


2回目だ、こんなにもろに転んで後頭部を強打するのは・・・

1回目はスケート場でだった・・・

でも、今よりずっと若かったからなのか今回の時より痛みを感じなかったような

気がする。(昔のことだからな…)

今もまだ痛いが・・

昨日は、ひどかった。

出勤はしたけれど、後頭部より右のこめかみから両目の奥を通って左のこめかみ

にかけてのラインで、ずっと痛いというか具合が悪いとゆうか・・・

お腹はすくんだけれど、鎖骨の少し下のところでむかむかしていて少し吐き気が

あったり・・・

帰ってきてから、寝ていたんだけれど仰向けで寝れない。

後頭部が痛くて・・・

触ってみたら、絶壁に膨らみが・・・

嬉しくない。






太ももと、肩が痛い・・・

早朝、また除雪車が通る音で目が覚めた。

あれ、春はどこに行った?

昨日と同じく15センチは積もっている・・・

ため息が出る。

でも、朝頑張って雪を払ったおかげで、帰宅したら粗方融けていた。

もしかして、払わなくても融けていたかもしれない・・・

春だよね・・・

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