4月3日の日記

2011年4月3日 日常
震災の安否情報とか被災者へのインタビューで、どうしても頭からはなれない言葉というか場面がいくつかあります。

救出されたおじいさんが、
”また、再建しましょう”となんの力みもなく言ったのを聞いたときは ”凄いなぁ~” と、
映像にショックを受けて、今後を暗く後ろ向きにしか考えれなかった私自身を反省しました。

安否情報で 決して大丈夫そうに見えないのに、
目に涙をためて震えながらも 
”こちらは、大丈夫です。元気にしています。” 
という人の多い中で内陸にいる親族に
 ”早く迎えに来て下さい。お願いします。助けてください。” 
と震えながら涙声で訴えていたおばあさん。
家族を失い一人ぼっちになり、今にも心折れてしまいそうな不安と必死に戦っている様子が、ただただ悲しかったです。
きっと、ガソリン不足で、すぐに駆けつけることができなかった親族の方も焦る気持ちでいてもたってもいられなかったことでしょう。

別のおばあさんが、自分の無事を伝えた後、おじいさんについて
”逃げようっていっても、こごさまで津波はこねっていってきがねがったんです。昔がら、、頑固で大変苦労してきました。・・・家が流されました。・・・・・・・多分、駄目だと思います。・・・・・ ”
と、真っ白な髪で、目に涙をためながら歯をくいしばるように話してらっしゃいました。
似たような、頑固者を知っているだけに、ものすごく苦労したんだろうなと感じたとともに、おばあさんの 
”なんであの時もっとつよく逃げようと言わなかったのか、なんであの人は私と一緒にいてくれようとしなかったのか” 
後悔と、悔しさ、が真っすぐとカメラを見据えたその姿から感じられました。
きっと、ここまで津波は来ない。
と、家に残った人が多かったのではないかと感じさせられました。

そして、2~3日前、テレビの番組で奥様が行方不明でずっと探し続けているという旦那(68歳?と字幕が出ていたようなきがします)さまがインタビューを受けていました。
レポーターが
“どんな奥さまでしたか?”
と聞いた時
“俺にとって、一番の美人”
と答えたのを聞いた時、不謹慎かもとは思いますが、
”なんて、しあわせな奥様だろう”とうらやましく思いました。
何の迷いもてらいもなく旦那様にそう言ってもらえるほど、きっと美しい人っだったのでしょう。

政府の情けない対応に、腹正しい思いをしたり、これほどニュースを真面目に見た事はないようなきがします。





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