父の手術が成功し、2日も過ぎると歩けるようになり順調で2週間ほどで退院できるとか。
退院の日に合わせて、休みを取って、当日、一緒に行くことになっていた母に電話したら、すでに2日前に退院したと・・・
弟が、術後の検診にたまたま病院に行ったのだそうですが、先生が気をまわして”退院してもいいよ”といったらしく、そのまま退院してきたそうです。
いや、いいことだけどさ・・・
連絡あってもいいんじゃね?
うっかり忘れていたとか・・・
似たもの親子だ、絶対私の忘れっぽいのは遺伝だ・・・
でも、ま、とりあえず休みはとってあるし、顔ぐらい見に行こうか。
と、車をはしらせて家に向かったら、家の近くの工事現場の交通誘導員のおじさんと、どっかで見たことあるようなおじさんが道脇で話し込んでいる。
父でした。
首の手術したばかりだよね・・・
大丈夫なのか???
退院してきたその日から、車の運転してたそうです。
首だよね・・・
--------------------------------------------------
そして今年。
去年、首の手術してからとても調子が良かったそうで、
グランドゴルフ、パークゴルフ、ゲートボールの大会に出まくり、
ポニー4頭の世話、その合間に請け負った仕事をこなしていたそうなのですけれど、1月ごろから足が痛くなってきたとかで去年手術していただいた病院を再受診。
今度は、腰の狭窄症。
4月11日手術。
先生、去年と違ってとても顔色がいい。
今回5時間弱で手術が終了。
手術は成功したし、術後の経過も悪くなかったのだけれど入院が長引いた。
30年以上前の古傷が痛むと・・・
リハビリしながら、1か月入院。
痛みはまだあったのだけれど、本人の希望もあり退院。
次の日、グランドゴルフの大会で山歩き。
翌日もまた、別の場所でグランドゴルフ。
翌日、ゲートボール・・・
足の痛みが悪化。
7月6日、自力で歩けなくなるくらい痛みがあったらしく、母しかいなかったため救急者を呼んで病院に搬送してもらったそう。
近所の人は、母が倒れたと思ったらしく、母が救急車の後を追うべく家から出たらびっくりされたと言っていました。
父だとわかったら、さっさと帰っていったと。
ま、母が脳に動脈瘤があるの近所の人知っているから・・・
最終的に、足の痛みの原因はヘルニア。
手術した4つの腰の部位の1個下・・・
発見できなかったんだな、手術の時・・・
術後、動きすぎたのが悪かったんだろうか?
現在、父は入院中です。
度重なる麻酔の影響なのか、声がほとんど出ません。
母も、耳があまりよくなく、意思疎通があまりよくできず、父の機嫌はすこぶる悪いです。
母よりは、まだ聞こえるほうですけれど、私も父が何を言いたいのかよくわからないことが多いのです。
でも、甥っ子は会話が成立しているのですごいなと思いました。
声が出るようになってくれるといいのですが・・・
去年より、父がやせて、妙に肌が黄色いというか白いのは足の痛みのせいだと、本人も家族も思っていました。
父はよく、”うちの”まき”(親類)は、癌の家系ではない”とよく言っていました。
知っている限り、父の親類で癌で亡くなった人はいません。
叔母(父の弟嫁)に言わせれば、
”癌はないけれど、あたりやすい(脳梗塞とか)家系だよね”
と。
父の母は元気です。
9月に100歳の誕生日が来るので、集まってお祝いをする計画があります。
救急車で運ばれたとき、胸ぐらいからCTをとったのだそうです。
たまたま、救急にいた先生が消化器の先生だったらしく、すぐ母が呼ばれて
余命6か月の宣告を受けたそうです。
大腸がんでした。
肝臓にすでに転移していたそうです。
その時、父は自分が癌だと知りません。
検査と診察の予約をとり、その日のうちに家に戻ってきたようです。
即入院にはならなかったらしいです。
検査、診察の日に母と父を連れ病院に行きました。
母に、
”癌だって伝えないように頼んできて”
と言われましたけれど、今の時代本人に必ず告知するのだそうです。
検査結果を聞く日は、弟にも仕事を休んでもらって一緒に4人で聞きました。
肝臓のほうは手を付けられないけれど、大腸がんのほうは、摘出しないと詰まる可能性が非常に高いということで、
手術の日程を決めてその前々日に入院することで病院を後にしました。
次の日の夜、吐血したので病院に連絡を取り、母が運転し弟が父を支えて病院へ。
即入院。緊急手術。
”ストーマ”にならなければいいね。
と言っていたのがフラグになったのか、ストーマになりました。
大腸がんの一部が破裂したそうなのですが、尿管が傷つく可能性があったので摘出はしなかったそうです。
そして、8月10日、病院から呼出されました。
母、たまたま仕事雨のため休みになった弟、たまたま仕事が休みだった私の3人で先生の説明を聞きました。
それが午前中、午後から父手術。
こんなに、急にするものなんですかね?
手術の日程を決めた日、
久しぶりに家族4人で食事に行きました。何十年ぶりだろう・・・
父は、中途半端にしている仕事が1件と、まだ手を付けていない仕事を1件持っているらしく、食後 、弟に頼んで中途半端にしていた現場を一つ片付けてきたそうです。
もう1件は、手術が終わって退院してから人を頼んで片付けると言っていました。
無事退院できますように・・・
退院の日に合わせて、休みを取って、当日、一緒に行くことになっていた母に電話したら、すでに2日前に退院したと・・・
弟が、術後の検診にたまたま病院に行ったのだそうですが、先生が気をまわして”退院してもいいよ”といったらしく、そのまま退院してきたそうです。
いや、いいことだけどさ・・・
連絡あってもいいんじゃね?
うっかり忘れていたとか・・・
似たもの親子だ、絶対私の忘れっぽいのは遺伝だ・・・
でも、ま、とりあえず休みはとってあるし、顔ぐらい見に行こうか。
と、車をはしらせて家に向かったら、家の近くの工事現場の交通誘導員のおじさんと、どっかで見たことあるようなおじさんが道脇で話し込んでいる。
父でした。
首の手術したばかりだよね・・・
大丈夫なのか???
退院してきたその日から、車の運転してたそうです。
首だよね・・・
--------------------------------------------------
そして今年。
去年、首の手術してからとても調子が良かったそうで、
グランドゴルフ、パークゴルフ、ゲートボールの大会に出まくり、
ポニー4頭の世話、その合間に請け負った仕事をこなしていたそうなのですけれど、1月ごろから足が痛くなってきたとかで去年手術していただいた病院を再受診。
今度は、腰の狭窄症。
4月11日手術。
先生、去年と違ってとても顔色がいい。
今回5時間弱で手術が終了。
手術は成功したし、術後の経過も悪くなかったのだけれど入院が長引いた。
30年以上前の古傷が痛むと・・・
リハビリしながら、1か月入院。
痛みはまだあったのだけれど、本人の希望もあり退院。
次の日、グランドゴルフの大会で山歩き。
翌日もまた、別の場所でグランドゴルフ。
翌日、ゲートボール・・・
足の痛みが悪化。
7月6日、自力で歩けなくなるくらい痛みがあったらしく、母しかいなかったため救急者を呼んで病院に搬送してもらったそう。
近所の人は、母が倒れたと思ったらしく、母が救急車の後を追うべく家から出たらびっくりされたと言っていました。
父だとわかったら、さっさと帰っていったと。
ま、母が脳に動脈瘤があるの近所の人知っているから・・・
最終的に、足の痛みの原因はヘルニア。
手術した4つの腰の部位の1個下・・・
発見できなかったんだな、手術の時・・・
術後、動きすぎたのが悪かったんだろうか?
現在、父は入院中です。
度重なる麻酔の影響なのか、声がほとんど出ません。
母も、耳があまりよくなく、意思疎通があまりよくできず、父の機嫌はすこぶる悪いです。
母よりは、まだ聞こえるほうですけれど、私も父が何を言いたいのかよくわからないことが多いのです。
でも、甥っ子は会話が成立しているのですごいなと思いました。
声が出るようになってくれるといいのですが・・・
去年より、父がやせて、妙に肌が黄色いというか白いのは足の痛みのせいだと、本人も家族も思っていました。
父はよく、”うちの”まき”(親類)は、癌の家系ではない”とよく言っていました。
知っている限り、父の親類で癌で亡くなった人はいません。
叔母(父の弟嫁)に言わせれば、
”癌はないけれど、あたりやすい(脳梗塞とか)家系だよね”
と。
父の母は元気です。
9月に100歳の誕生日が来るので、集まってお祝いをする計画があります。
救急車で運ばれたとき、胸ぐらいからCTをとったのだそうです。
たまたま、救急にいた先生が消化器の先生だったらしく、すぐ母が呼ばれて
余命6か月の宣告を受けたそうです。
大腸がんでした。
肝臓にすでに転移していたそうです。
その時、父は自分が癌だと知りません。
検査と診察の予約をとり、その日のうちに家に戻ってきたようです。
即入院にはならなかったらしいです。
検査、診察の日に母と父を連れ病院に行きました。
母に、
”癌だって伝えないように頼んできて”
と言われましたけれど、今の時代本人に必ず告知するのだそうです。
検査結果を聞く日は、弟にも仕事を休んでもらって一緒に4人で聞きました。
肝臓のほうは手を付けられないけれど、大腸がんのほうは、摘出しないと詰まる可能性が非常に高いということで、
手術の日程を決めてその前々日に入院することで病院を後にしました。
次の日の夜、吐血したので病院に連絡を取り、母が運転し弟が父を支えて病院へ。
即入院。緊急手術。
”ストーマ”にならなければいいね。
と言っていたのがフラグになったのか、ストーマになりました。
大腸がんの一部が破裂したそうなのですが、尿管が傷つく可能性があったので摘出はしなかったそうです。
そして、8月10日、病院から呼出されました。
母、たまたま仕事雨のため休みになった弟、たまたま仕事が休みだった私の3人で先生の説明を聞きました。
それが午前中、午後から父手術。
こんなに、急にするものなんですかね?
手術の日程を決めた日、
久しぶりに家族4人で食事に行きました。何十年ぶりだろう・・・
父は、中途半端にしている仕事が1件と、まだ手を付けていない仕事を1件持っているらしく、食後 、弟に頼んで中途半端にしていた現場を一つ片付けてきたそうです。
もう1件は、手術が終わって退院してから人を頼んで片付けると言っていました。
無事退院できますように・・・
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